馬の糞にも段差あり

正月早々、品のないタイトルで申し訳ないっす!!(笑)

・・・・・つまり、何が言いたいって、

馬からポトンと落ちたウンチ・・・そのウンチが地面に落ちた形、

その形にも段差、つまり高い低いがあるということ。

 

物事や人間も生物も全て平等でなく、

位があり格付けがある・・・・・・というお話です。

 

「格」「位」「階級」いいですね。

ボクは、こういう言葉大好きです。

大大大大大好きです!!

 

最も嫌いなのは、

誰もが一夜にして夢が叶うアメリカンドリーム的なアレ、嫌いです。

むしろ、ヨーロッパの古い階級社会や日本古来の士農工商がボクは好き。

 

 

 

「私のような身分のものが・・・・・・」とか、

「無礼千万!私を何と心得える・・・」的なセリフが好きです。

 

でも、サラリーマンの平社員から始まる昇進制度は嫌いです。

何の 興味もありません。

 

何度も言いますが、

物や動物や人が集まれば、そこに必ず力関係が生じ、

格が出来るのはあたり前です。

あたり前の歴史が続けば、最初からその格差が決まる。

身分や形が生じるのが、あたり前。

日本の運動部、一年生奴隷、四年生天皇、これあたり前。

でも、日本であたり前でも世界のアスリートがそうかというと、

上下関係が意外と無かったり、コーチとタメ口聞いてたりする。

日本では、この辺はまだまだ維持されている。

 

職人の世界にも階級がある。

親方から見習いまで、職種によっていくつかの階級がある。

我が整体業界もしかり。

師弟関係、師と弟子の関係性は絶対である。

まあ、あまり昔の話をするのは如何なものなのか?と遠慮しながら

書かせて貰うと(笑)、

自分が整体修行時代、師匠と先輩の言うことは絶対であった。

黒いカラスも白いと言われれば「ハイ!仰るとおりです」

勉強中に我がバカな同期が師匠の書いた字の間違いを指摘し、

先輩から顔が別人になるくらい、可愛がられたこともよくあった。

「花」という字も、師匠が「月」と言えば月なのである。

これ、あたり前のこと。

師匠や先輩と一緒に食事を摂る時など、

自分の席は無く立ち食い。

食べる分があるだけ良し、しかも3分で食う。

そういう技術を学ぶという以前の、もろもろの面倒くさい

「とても大事なこと」を徹底して擦り込まれる。

 

技は人なり、

技を覚えたかったら人としての修行をせよ!!・・・という、

それはもう厳しい厳しい「美談」は、山ほどあります。

こういう話も大好きで、後進にもキッチリ伝えていかなければならぬ!

・・・・という自分がいます。

但し、現代に多少は擦り合わせて、

緩和させて意外と優しくオブラートに包んで伝えている次第です(苦笑)。

 

まあ今どき、丁稚奉公のように勉強に来る人はいないし、

ある年齢に達して大の大人が、

なるべく短期間に合理的に習いたいというニーズを叶えながら・・・。

卒業後のお付き合いの中で「真髄」を、

また伝承し直させて貰っています。

 

去年年末には、

ボクの弟子の中から前座より、二つ目昇進が二人でた。

真打も一人。

今年も二つ目・真打を目指して、技と人を磨き合いましょう。

どんなに世の中が便利になってデジタル化しようが、

変わらぬ!揺るがぬ!

馬の糞の世界なのである!!

それが私の生き方、私の考え方、伝承の仕方。

暁光